helloworld3232’s blog

友人に知られれば お前がブログなんか書くのはありえへん と言われそうな ブログ を初めて見ました。毎日ちょっとずつ。整理できていないごちゃごちゃな頭の中を整理する意味でも。

What you see

カフェでの勉強はものすごく捗る時と今日はどう頑張っても集中できない時がある。今日がその集中できない日だった。窓側の席に座っていたのでゴールデンウィークということでショッピングバッグを抱えて歩く人や、久しぶりに家族で出かけてるんだろうなーと思える人たちを眺めることができた。何気なくルーズリーフの行がない上の端の方に車や忙しく動く人を描いてみた。動いているものを描くことほど難しいことはないと思う。自分が気に入った瞬間をさっとかけてしまう人はかっこいい。

 

何本も線を重ねて書くとちょっと上手い人のようにかけた気がするが、遠ざけてみるとなんだか現実味のない人間だなと感じる。

 

絵は表現する才能も必要だが同時に観察力も欠かせない。暇があるときや休憩にちょっとずつ絵を描いてみようと思った。

Past and Future

ルワンダ虐殺事件を取り上げた記事が新聞に掲載されていた。

恥ずかしいことだが一般常識というものにかけている私はルワンダ虐殺事件の内容自体初見だった。その事件の背景には民族と支配があった。大まかな流れを説明すると(間違っているかもしれない)ルワンダに置いて共存していた少数派の民族と多数派の民族が他国の侵略によりお互いを排除するようになりジェノサイドが発生したという事件だ。多くの人々が残酷で無残な殺され方をされた。

私が衝撃を受けたのは特に身内を何人も目の前で殺された被害者が今はその加害者と同じ地域それも数メートル先にすんんでいるということだった。彼らは言葉をかわすことはないそうだ。この加害者も侵略された側として命令に従うしかなったという現実もあった。被害者も誰か一人を責めても何も始まらない、むしろ自分たちのこれからの人生を考えれば再び共存していく方を選択した方が賢明である。というのだ。

 

考えられないことだと思った。私たちの国は歴史上の問題を今でも様々な国の間で抱えている。お互い一歩も譲らないという現状から問題は一向に解決する兆しが見えない。ルワンダの事件を参考にというのはおかしいが、過去の憎悪にとらわれすぎている感情をもう一度冷静に客観的に見直す必要があるのではないかと思う。

追加

英語について書いている最中実家の母からラインが届いた。

今日ラジオで親がどんな本を持っているか、家の本棚にどんな本が並んでいるかで子供思考力、意識などは変わってくるという内容を聞いたそう。それについてママは(私)に何をしてあげれたんだろうって思った と言われた。

うちの両親はよく育て方が合っていたのかな、もっと色々させてあげればよかったな、と頻繁に私に言ってくる。優しさ故だが、私はそれを聞いた時なぜがものすごく申し訳ない気持ちになる。私は意図的に経験や機会を与えられなくても、自分から積極的に「何か」を掴みに行ける場面は何度もあったのではないか、自分がそれを今まで逃してきてしまっているのではないかと思う。母は教養があり、何かに挑戦することを好む性格で学ぶことが大好きな人だ。父は自分の生涯の生きがいを持っている「勝ち組」でそれを仕事にできている。また人間関係においてはプロ中のプロでもある。どちらとも私は尊敬という言葉では言い表せないほどであり、もはや自分の親とは思っていない時さえある。

しかしそれが年齢を重ねるごとにプレッシャーとして感じてしまう。期待抱かれているのは全ての父親母親がそうであるようにもちろんのことだと思うが、それ以上に何かモヤモヤしたものが、焦らされるものがある。(勝手に自分で感じているだけだが)

 

過去について何もしてこなかったと後悔しても意味はない。自分がまだまだ成長しなければならないという焦りを感じることができたという前向きな思考で様々なことに目を向け必死にくらいつこうと思う。どこまでできるか自分との勝負だ。今までしたことのなかったこと、あるいは背を向けてきたこと全てを視野に入れ人生の中でどれだけのことができるか試していく。

そう決心すれば寝る時間も勿体ないと思ってしまうが、眠気があっては戦はできぬ。明日を必死に生きるために寝るとしよう。

English

グローバル化に向けて必死に叫ばれている英語力強化について。

私自身現在大学生という英語を習う立場として日本人が苦手と言われているENGLISHについて書いてみる。

そもそも英語は文法構造が日本語と違っていてとっつきにくいという印象がある。外国語という強いイメージもあって英語を流暢に話せる英語圏の人々が嬉しい反面伸びない英語力に悩まされる。悩まされてきた。しかし最近英語を約10年?ほど勉強してきてやっとコツというか、その面白さを感じれるようになってきた。勉強は面白いと思ってしまえば勝ちだ。頭が勝手に勉強したい知りたいと思うようになり、吸収が早くなる。

こう思えるようになったのは、英語の文法や単語をひたすらテキストに沿って勉強することをやめてからだ。特に意味のない文章を文法で分解して考えたり、どこで使うかも分からない単語を暗記することで英語を終わりのないベンキョウと捉えてしまっていた。そんな私が最近行っていることは自分の興味のあることについてネットをつかって英語で調べ見たり読んだりすること。よく言われるし当たり前のことだけれど、これを習慣にすると 自分が興味のある分野から離れて英語の面白さ、英語の表現の豊かさなど文章の方に注目するようになった。

 

言語はとりあえず将来絶対必要になるし勉強しとかなあかん。このような義務ではなく単純に自分が気になることが英語で書かれているから何としても読みたい、読めるようになりたいというキッカケの大切さを今更ながら感じている。

Appearance

 

最近きになることがある。ズバリそれは見た目、体重、体型だ。

ダイエットというものには幾度となく挑戦してきたがことごとく失敗している。ダイエットを決意し書店に出向き「痩せる方法」「痩せるのは簡単」「〇〇ダイエット」「なんとか式ダイエット」などの類いの本を手に取り読み漁った。その時はふむふむなーんだこんなに簡単なことなのか!と頭では理解するも、続くのは数日だけ という結果…笑

 

ダイエットというのは不思議で痩せれないという辛さらよりも、なんでこんなに自分に甘いんだ、なんで食べてしまうんだという自責の念に駆られる辛さだ。

以前断食ダイエットを行なっていた。当たり前のことだが人間にとって何も食べないというのは恐ろしいことのようで、数日の断食に成功したと思ったら予想以上の副作用「大暴食」が現れた。このまま食べ続けたら肥満になるのではないか、よくテレビで見るお腹に自分で注射を打つ光景が頭を駆け巡る。そして何よりも食べ物を気が狂ったようにお腹が痛くなるほど食べてしまい、自分はタバコやお酒、下手をすれば麻薬のような中毒性のあるようなものを一回経験してしまえば抜け出せない性格なのでは?といろいろな恐怖に襲われた。

と思いつつも食べてしまう。でも鏡を見たり体重計に乗ったりして後悔する。というのを繰り返してきた。

 

今は丁度過食のピークを過ぎて少しずつ食の量を減らせるようになってきたと思う。自分を甘やかしてなかなか厳しく出来ないのは私の体型がいわゆるデブでもガリガリでもなく標準くらいだと周りに評価されるからだろう。しかしこのまま油断しては自分の健康に問題が出てくるかもしれない。

 

まだまだどのようにダイエットするのが良いか、どのような気持ち(心理状態)を持ってダイエットをすれば良いのか自分で試して試行錯誤中である。毎回書くわけではないがおいおいこのブログでその状況を少しずつ報告していけたらと思う。

Chalenge

New start.

 

とうとう始めてしまった。今日からブログ書きます。

ブログを書くことに憧れて登録したのは四年ほど前かな。友達がブログを書き始めたり、ネットのブログ投稿を見たりして勢いで登録して… 結局三日坊主で終わってしまったけど。笑 その頃はまず書くことがなかった。日頃何も考えていなかった。

大学生になった今自分の意見を発信するというちょっとした挑戦をしたいと思う。続くか続くかわからないではなく、続けるという意思で。投稿するにあたっては毎日考えることをしなければならない。これが自分にとってどれほど難しいか自分自身がよくわかっている。カテゴリーというものは特にない ただ自分が感じていること、今この歳でしか感じられない考えられないことを綴っていこうと思う。のんびりと… 続けるためにも一つだけ決め事を作っておく。「長く書こうとしないこと」とりあえずこんな感じで続けていこう。