追加
英語について書いている最中実家の母からラインが届いた。
今日ラジオで親がどんな本を持っているか、家の本棚にどんな本が並んでいるかで子供思考力、意識などは変わってくるという内容を聞いたそう。それについてママは(私)に何をしてあげれたんだろうって思った と言われた。
うちの両親はよく育て方が合っていたのかな、もっと色々させてあげればよかったな、と頻繁に私に言ってくる。優しさ故だが、私はそれを聞いた時なぜがものすごく申し訳ない気持ちになる。私は意図的に経験や機会を与えられなくても、自分から積極的に「何か」を掴みに行ける場面は何度もあったのではないか、自分がそれを今まで逃してきてしまっているのではないかと思う。母は教養があり、何かに挑戦することを好む性格で学ぶことが大好きな人だ。父は自分の生涯の生きがいを持っている「勝ち組」でそれを仕事にできている。また人間関係においてはプロ中のプロでもある。どちらとも私は尊敬という言葉では言い表せないほどであり、もはや自分の親とは思っていない時さえある。
しかしそれが年齢を重ねるごとにプレッシャーとして感じてしまう。期待抱かれているのは全ての父親母親がそうであるようにもちろんのことだと思うが、それ以上に何かモヤモヤしたものが、焦らされるものがある。(勝手に自分で感じているだけだが)
過去について何もしてこなかったと後悔しても意味はない。自分がまだまだ成長しなければならないという焦りを感じることができたという前向きな思考で様々なことに目を向け必死にくらいつこうと思う。どこまでできるか自分との勝負だ。今までしたことのなかったこと、あるいは背を向けてきたこと全てを視野に入れ人生の中でどれだけのことができるか試していく。
そう決心すれば寝る時間も勿体ないと思ってしまうが、眠気があっては戦はできぬ。明日を必死に生きるために寝るとしよう。